日々の生活に
美の喜びを

どれも見事で
醜い形のものは
捜してもない
伝統への
従順が
このことを
可能にしている
「琉球の陶器」 柳 宗悦

ありのままの
暮らしに強くうたれた

受け継いだ伝統は、
形の奥の見えないところで
深く守られ
くったくなく行われていて
どれも愉しい
「沖縄の陶技」 濱田 庄司 

沖縄は『工芸の島』

沖縄は『工芸の島』と呼ばれるくらい
手仕事が盛んな島々です。

工房を一つ一つ訪ね歩いて
ものづくりの想いを伺いながら
取り扱いさせていただいております。

お知らせ

やちむん の特徴・取扱い方

おおらかに、世をとらえ
育まれれた沖縄文化

やちむん とは 沖縄 の方言で「焼き物」を意味する言葉です。その歴史は古く16世紀からとも言われています。海外との交易を盛んに行うことで、栄えた琉球王国は暮らしの中に様々な文化をおおらかに受け入れること独自の文化を育み やちむん は、その象徴とも言えると思います。

やちむん 誕生のきっかけ

やちむん (壺屋焼)は、1682年に当時の尚貞王(しょうていおう)が焼き物産業の振興を目的に、涌田焼、喜名焼、知花焼の陶工たちを壺屋(つぼや)に集めたことが誕生のきっかけです。なぜこの地が選ばれたのかは推察すると、壺屋は現在の那覇市内にあり首里城と那覇の中間地点で焼き物づくりに必要な薪や粘土などの資材・物資を効率よく運ぶために安里川を利用したからだと考えられます。当時は、泡盛・穀物・海産物などを入れて離島や海外・日本に運んだりするためにやちむん の壺や甕などが多くつくられており、そこから派生して皿や器といった暮らしの道具に発達していったと考えられています。庶民向けの「荒焼(アラヤチ)」、貴族や上流階級向けの「上焼(ジョーヤチ)」という2種類の やちむん があります。

やちむん と民藝

やちむん が脚光を浴びたのが、民藝運動でした。
暮らしの中で愛用された日用品の中に“用の美”を見出し、活用する民藝運動は沖縄にも及び、濱田庄司や柳宗悦たちは、たびたび沖縄を訪れてました。琉球の伝統を守り続ける鮮やかでおおらかな色彩は国内を見渡しても他にない個性で庶民の日用品で、ここまで装飾的な民藝の器は珍しかったので彼らは、やちむん を全国に紹介し、後に県下初の人間国宝にもなった金城次郎や新垣栄三郎らを指導したりしました。こうして やちむん ・壺屋焼の素晴らしさは全国的に知られるようになりました。

壺屋は やちむん の故郷
読谷は やちむん の聖地

やちむん は問題に直面します、1970年代に入ると日本に返還された沖縄で、焼き物の製作時に発生する煙による公害が問題になり、薪を焚く登り窯の使用が禁止されてしまいます。途方に暮れた陶工たちを救ったのが読谷村でした。文化村構想を進めていた読谷村は、陶工たちに元米軍用地を提供し登り窯を作ることを提案しました。登り窯にこだわった人間国宝の金城次郎をはじめ多くの陶工たちが読谷に移り住み、それから読谷は“ やちむん の里”として大きく発展します。現在では、壺屋は やちむん の故郷、読谷は やちむん の聖地とも呼ばれています。

やちむん 沖縄は『工芸の島』

やちむん が代表するように沖縄は『工芸の島』と呼ばれるくらい 手仕事が盛んな島々です。素朴さを残しながらも豊かな色彩を放つ やちむん や 琉球ガラス は食卓を華やかに彩り 小さな器でも、しっかりとした厚みぽってりとした愛くるしいカタチで驚くほど手に馴染みます。沖繩の風や土・暮らしの中から 生まれてきた器を 皆様へご紹介・お届けし、あわただしい日々の暮らしの中でも 楽しく・ゆたかな時間を過ごす!好きなものに囲まれる幸せを少しでも感じてもらえる、お手伝いができたらと願っております。

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